昨日、映画『永遠のジャンゴ』の試写会感想(昨日の記事はコチラ)を書きましたが、それに少し関連してもう一つお話でも。
ナチス・ドイツ軍はジプシーの持つ不思議な能力を不吉として、ジプシー撲滅に力を注いでいました。
ヨハネス・ベーレント博士は1939年に発表した論文「ジプシーの真実」で、ナチスの主張を「彼らは犯罪者であり、反社会的であり、彼らを教育することは不可能だ。全てのジプシーは遺伝的に病気なのだ。ただ一つの解決方法は彼らの排除をすることだ。人種の特質上の欠陥が、一般大衆に悪影響を与えないように、完全に排除することを目標にすべきだ」とナチスの主張を代弁している。
《--ジャンゴ・ラインハルトの伝説(マイケル・ドリーニー著)---より》
いわゆる、小学校で勉強したアウシュヴィッツ強制収容所のこと。
ジャンゴもジプシーなので目をつけられていた身でした。
同じミュージシャンで音楽的な才能がどんなにあっても、悲しい運命を辿った仲間もジャンゴの周辺で沢山いたということを忘れてはいけません。
ジャンゴが運良くが助かったということではなく、ファミリーや友人との悲しい別れや無念を背負って生きるジャンゴは、相当なものだったのではないかと想像します。
今日はそんな無念の死を遂げたミュージシャンの一人、Georges Effrosse(ジョルジュ・エフロス)というバイオリニストをご紹介。
あまり知られていないのが残念ですが、ユダヤ人であったエフロスは、クラシックを始めスウィングのバイオリンまでも弾きこなすバイオリニストで、1942年からはギターのSarane Ferretに誘われ”Sarane Ferret et Le Swing Quintette de Paris"のメンバーとして活躍していました。
1944年に彼はユダヤ人として狩り集められ、パリ郊外のドランシー収容所に送られました。されにここから貨物列車に詰め込まれてドラの収容所に移送され、ガス室で命を落とした悲しい運命を辿ったミュージシャンの一人です。
1942年からのサラン・フェレとの活動の音源が何個かレコードとして残っていますが、この時代らしいスウィング感があります。
バンド結成後2年というのは、音楽的にも盛り上がっている時期だったのではないでしょうか。
これからという時に亡くなってしまった悔しさは計り知れないものです。
戦争をしないジプシーにとって、戦争自体が他人の問題であったのに、このような悲劇に巻き込まれてしまった現実があったことを忘れてはいけないし、今後このようなことが起こるような世の中にはならないことを祈るばかりです。
Etienne "Sarane" Ferret - Hungaria - Paris, 27 January 1942